『整形美女』姫野カオルコ 美女の定義
今回読んだのは姫野カオルコさんの『整形美女』です。姫野カオルコさんは『彼女は頭が悪いから』で気になっていたのでこの作品を読むことにしました。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784334769109
〈あらすじ〉
名医と呼ばれる大曾根は20歳の繭村甲斐子に整形手術を懇願される。しかし、彼女は輝かんばかりの美貌の持ち主であった。
一方、彼女の同級生である望月阿倍子は甲斐子の写真を持ってセントラル美容整形医院のオペ室に向かう。
整形をすることで理想の容姿を手に入れることがどのようなものなのか、果たして2人はその容姿で幸せなのだろうか…
〈感想〉(※ネタバレ含む)
整形は最近では努力といわれることもあります。私はそれをちょっとどうなのかなと思うのですが、今はその考え方が一般的なのでしょうか。
自分の容姿に満足しているというか、自分の容姿が好きという人は特に日本人には少ない気がします。私もここをもうちょっとこうできたら…と整形したいと思ったことがあります。
この作品では美人なのに整形したいと思い、整形する甲斐子という女性と一般的な人のように、顔にコンプレックスがあり、整形する阿倍子という女性が登場します。
美人なのに整形したい(しかも顔の大部分を)という人は見たことがありませんが、芸能人などは美人でも皺を取ったり、顎をとがらせたりはしていると思います。
正直美女の定義は人によって違うと思うのですが、甲斐子が美人だと思い、その顔に整形しようとした顔は一般的に「ブス」や「しみったれた顔」と言われてしまう顔でした。しかし、甲斐子はその顔に整形してからオシャレをすることなどに抵抗が無くなりました。また、以前のように男性に奢ることも無くなりました。それにしても、美人って奢るんでしょうか?というか今では美人でもそうでなくても割り勘がだいたい普通だと私は思います。
また、甲斐子は結婚もしましたがその生活は楽しそうで充実しているとは言えないだろうと思いました。
美人に整形した阿倍子は、最初こそ楽しんでいたものの、だんだん整形していることがバレたらどうしようとその恐怖に怯え、元の顔に戻ります。阿倍子の元の顔に戻ってからの生活は楽しそうでした。
結局整形で失うものや得るものって何なのだろうと思いました。私は整形をして良かったという意見の方がメディアなどではよく目にするのですが、してみないと結局分からないのだなと思いました。
姫野カオルコさんは表現が独特な作家さんでした。どちらかというと、女性向けの作品だったかもしれませんが男性が読んでも面白いのだろうなと思います。読んだ方には分かってもらえるかもしれませんが、百田尚樹さんの『モンスター』に少し似ているなと思いました。
ぜひ読んでみて下さい。